海外生活と老いていく親 その5完

6/06/2023

海外生活と親

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大分時間が空いてしまいましたが、完結させないといけませんね。

実家の母は浪費家

私の実家の母は浪費家であった、ということまで前回書いたところだったと思います。母は父が存命の時は振り込まれたお給料を全額使ってしまうタイプで、私は子供の頃給食費を期日に払ってもらえなかったり、高校の授業料を払ってもらえなかったので自力でバイトして納めたりしていました。

当然、母と私はお互い相性も良くなく、私は社会人になって給与が安定した時点で、夜逃げ同然で実家をでて一人暮らしをしたのでした。それからは殆ど疎遠だったのですが、父が病に倒れ亡くなって入院手続きはおろか葬儀の手配すらやらなかった母のかわりを務めなければならなかったあの頃は私には本当に暗黒の10年間でした。

父の死後、生活力のない婆さん(母)を一人にするわけにはいかないんじゃないか、と何度か妹と新居をさがし、契約をし母を呼び寄せたのですが、何が気に入らないのか3日で実家へ帰ってしまい残された部屋でしばらく妹と同居して過ごしたものでした。

他にももうここには書くことができないとんでもないエピソードが盛りだくさんで、私はもう母と関わりあうことに疲れてしまっていたのです。でもここで私が手を引いたら、子供が生まれたばかりの妹に負担が押し寄せてしまうので、なんとか気力だけで踏みとどまっていたのでした。

母親を見捨てた娘

そこにあの3月の東日本大震災。あれで私は一気に気持ちが揺らいでしまったのです。自分は何のために生きているのか。もう少し自分の為に生きてもよいのではないか?と考えるようになったのです。そして、旦那も何か思うことがあったのかアメリカへの転勤を考えはじめたのでした。

その後、いろんな経過をたどってアメリカ生活を始めたのですが、母は私がいないならいないなりにマイペースに過ごしていたようです。時折お金を送ってくれと言われることもありましたが、それは必要に応じて振り込んだりしていました。ネットワークが簡単に利用できる良い時代になったので、日本から離れていてもできることはたくさんあったのです。

渡米してからは、母には一度も会っていません。一時帰国した際は人間ドックへいったり、免許を更新したり、と本人が出向かないとできないことをこなすので精一杯で母の相手をする余裕がなかったのです。何回かの一時帰国後、自分の体に健康上の問題が発覚し、治療を受けねばならない立場にあったのもありますが、母が一方的に送り付けてくる手紙を読むことはあっても返事を返すことはありませんでした。親戚は母を見捨てた非情な娘、と思ったと思います。

そして新型コロナウィルスの流行

このCOVID-19が私にさらに追い打ちをかけます。この感染症の流行と時を同じくして私は新たな病気を発症し、そのせいで通院以外一切外出ができなくなりました。そんな時に母の訃報が届いたのです。私は母の訃報を受けてから遺産放棄手続きをしました。私は容易には飛行機に乗って日本へ帰ることができる体調ではなくなってしまったからです。そこへ親戚から手紙が届き、私の現状を伝えることで親戚の方々が納骨まで一切の手続きを執り行ってくれました。母は4人兄弟の末っ子で、伯父伯母達は母が結婚してから疎遠だったことを気にしていたようでした。そこへ私が体調を崩していることを知り、すべてを執り行ってくれたのでした。

人生とは時に自分でコントロールできないことが起きたりします。それすべてに対策を立てることは困難です。起きたことに悲観することもあるでしょうが、そこで差し伸べられている手に気づくことができるかどうか、も大事なことだと思います。
海外で親の訃報を受け取るということは、誰もが万全に対策を立てられるわけではありません。でも、その時きっと誰かが手を差し伸べてくれるかもしれないので、素直に助けを求めても良いと思います。

最期にまとめると、親との関係に関わらず親の老いに向き合うにはお金が必要です。人の手が必要です。しかし、それを万全に整えることは難しいことです。いまはネットもありますから、自分たちができることはどんなことか、誰に助けを求めれば良いのか一度ご家族で話しあっておくことも大切だと思います。


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ネコノツマコ、アメリカ カリフォルニア州在住。50代夫婦二人暮らし。アメリカ移住の生活の様子を気が向いた時に書いています。

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