この記事は海外生活をする人が、日本にいる親の急死に遭遇したり、親の介護が必要になった時どうしたらよいのかを考えるきっかけにしていただけたら、と私の経験を元にしています。個人の特定を避けるため、内容に多少フェイクを混ぜ込んでいる点がありますがご容赦ください。
老いていく親と情報機器
前回の記事では、親の経済状況を把握しておくことについて書きました。その続きです。
親の資産が潤沢にあれば、親自身も気持ちに余裕があり、様々な生活支援に対しての提案も受け入れてくれることが多いかもしれません。(人によるところも大きいと思いますが。)
私達は移住の前にできるだけ義母に対するケア体制を整えるようにしたつもりでした。
今は通信手段も整備されていますし、オンラインでの買い物や様々なサービスへの依頼、検索、問い合わせなども直接出向かずに済ませることができるようになりました。また、ビデオチャットやスマートホームデバイスによる遠隔見守りなどで親の様子を知ることができます。国内にいても海外にいてもそんなに変わらないんじゃないか、そう思っていた時期がありました。
でもね、違うんです。一見情報通信技術を駆使してある程度の見守りができるように見えますが、違うんです。親には人の手が必要なんです。便利な機器もそれを設定や設置するには、親が理解をし(ココ重要)、パソコンやスマホなどのツールを使えることが前提であったり、それを支援してくれる人がいることが前提だったのです。要するに人が絶対に介入しないと成り立たなくなるのが親の老いなのです。
親の理解が重要なのは、まだ親が若く、スマートホームのデバイスやタブレットなどのデジタル機器の導入に前向きなことが多いからです、メリット、デメリットをきちんと説明すれば理解してもらえるからです。しかし、親がこれらのことに理解を示せない場合はかなり苦戦を強いられます。「こんなわけのわかんないものを置くな!」とか「電気代がもったいない」とかで電源を切ってしまったり・・。ネットワークルーターの電源を勝手に切ってしまうことも。プラグから引っこ抜くので通信手段が遮断されて見守るためのツールがすべてただの箱になってしまうのです。こちらが時間をかけて丁寧に説明し、やっと理解を得て設置しても、その翌週には「息子夫婦が変なものを置いて行った。」といって振り出しに戻されるのです。
そもそも親は息子、娘に世話をして欲しいのです。顔を突き合わせて話したいのです、多少のわがままを聞いて欲しいのです。老後は息子は帰ってきて面倒を見てくれる、そういう教育を受けてきた世代ですから、便利ツールなんて太刀打ちできるわけがない。時代的にそれが無理だから便利機器が発達したのですがね・・・。
だから私は声を大にして言いたい。親がまだ若いうちに最低限のネットワークは整備して適度にアップデートをし、普段の生活になじませておけ、と。
年老いた親は変化を嫌う
親は年を重ねるにつれて変化を嫌うようになります。よく年寄りは頑固だという表現を聞きますが、まさにそれです。これはもう歳をとっていくと誰もが直面することなのだと思いますが、次第に変化を嫌うようになります。私の親の世代はアナログ電話の世代。ですから急にネットだなんだと便利なデバイスを追加するなんてもうイヤイヤ状態、わかんない、いらない、電話があればいい、アンタたちが来れば済むこと、とカメラ付きインターホンすら最初はイヤイヤ状態でした。
私達にとっては些細なことであっても、老いた親は生活が変わることを中々受け入れられないようです。それは今まで築いてきたものを失う恐怖心であったり、失敗を恐れるといった今までの経験の外にあることに挑めなくなるからとも言われています。
義母の変化に対する拒絶の例を1つ挙げると、まだアメリカ移住も予定にない頃、いつものように様子を伺いに旦那と訪問した際、旦那は庭先のフェンスの修理で部屋にはいなかったのですが、何かで苛立っていた義母は長男である旦那が常に側にいてくれないのが不満だったのか、こっちが呼んだらヘリコプターに乗ってでも駆けつけなさいよ!それぐらいできるでしょ!と激高して私に怒鳴ったのでした。
都内に住んでいた私達と首都近郊の義母の家。高速道路を利用して40分程の距離。まさかそんなことを言われるとは思わず驚いたのですが、後からよくよく観察すると、ちょうどヘルパーさんが週に2回ほど掃除や身の回りの支援に訪問し始めた頃で、他人に世話になることがイヤな義母、ヘルパーという他人にお金を払うのがストレスだったのだと思います。
親が老いてくると、そういった心理的変化も対応しないといけなくなるのですが、とにかく電話越しやネット越しで様子伺いをすると、(息子には良く思われたいから)取り繕うのです。後日様子を見に行った義弟が、義母が勝手にヘルパーさんを断ってしまっていたことを知り驚く、ということがあったのです。そしてその週末私達が義母の元へ行き、旦那が介護保険から費用がでているよ、これは必要な支援なんだよ、と説得するというようなことが何度かあったのです。私達がまだ国内にいてもこうだったので、海外へ移住するとおのずと義弟への負担が増えてしまうことが容易に想像できました。
頼れる存在、ケアマネージャー
まだ元気な親が病気やケガをきっかけに生活支援が必要になることは決して少なくありません。そんな時に非常に頼りになるのがケアマネージャーという存在です。親の衰えに薄々気が付いていても、まだ大丈夫と向き合わないでいるとあとからツケを払うことになります。
これは海外在住に限らないのですが、親に何らかの支援が必要になると、人の手がいるわけですが、具体的にどの程度の支援が必要なのかというのは、わからないのではないでしょうか。そこを適切に支援してくれるのがケアマネージャーです。
もうケアマネージャーなしでは生活支援や介護は成り立たないと思ってください。行政の高齢者支援の窓口へ行って、あるいは病院の相談窓口で具体的にどうすればよいのかを相談すると、まずケアマネージャーを決めましょう、と言われると思います。
ケアマネージャーが決まったら、とにかくよく話し合う事が大事です。ケアマネージャーは、こちらの事情を汲んで親身になってくれる人もいれば、海外在住のことを少し非難めいた態度で接してくる人、仕事が早い人、遅い人、様々な人がいます。また、介護認定を受ける本人と相性も合わない人がいたり、私達の場合、義母と相性が合わず2人ほどケアマネージャーが変わりました。
とはいえ、良いケアマネージャーとタッグを組めればこれほど心強い存在はないと言ってもいいほどです。私達はどれだけケアマネージャーさんに助けられたことか。
でも、誤解しないでください、ケアマネージャーは介護要員ではないのです。介護従事者やサポート施設との手配や橋渡しをしてくれるのがケアマネージャーさんです。
海外在住は免罪符にはならない、してはいけない
私達がアメリカへ移り住むことを具体的に計画し始めてから、当然双方の親をどうするかという問題に対処しなくてはなりませんでした。特に義母は80歳を超えていましたから、長男である旦那がアメリカに住むなんて言ったらどうなってしまうのでしょう、想像しただけで大騒ぎになりそうでした。しかし、現実は違いました。義母は自慢の長男がアメリカで仕事をすることが誇らしいのか、淋しいとは言うものの、あっさりと受け入れてくれました。難色を示したのは義弟一家の方でした。
日本国内から離れるということは、どうしても物理的な距離の問題が出てきます。そして、様々な書類上の問題も出てきます。まず住民票を失います。このことが後から問題になるのです。
これってそんなに大変なこと?と思われそうですが、大変なことです。特に兄弟姉妹に配偶者や子供がいる場合。なんで代わりにうちが全部やらないといけないの!と兄弟姉妹の家族から不満がでるかもしれません。
考えてみてください、兄弟姉妹の配偶者からしてみたら、老いた親を残して勝手にアメリカで好きに暮らすなんて、うちに押し付ける気満々じゃないの!ってなりますよね。どんなに兄弟姉妹との関係が良好でも、その配偶者がどう思っているかはわかりません。
兄弟姉妹の配偶者からしてみたら、自分の家族が一番ですから。
どこでもドア(ドラえもんの道具)が発明されでもしない限り、人的負担をすることは容易には海外からできません。でもそれを免罪符にしてはいけないと思うのです。兄弟姉妹といえども、独立した家庭です。自分が海外暮らしをすることで一方的に負担を負わせるのは間違っています。
そこへケアマネージャーさんが間に入って具体的な支援方法を示してくれて、手配してくれるのです。ですから、国内の兄弟姉妹には、本当に必要な緊急連絡先などのサイン等をお願いする感じです。どんなにケアマネージャさんやヘルパーさんが良くても、何かあった時に実際見に行って私達に連絡くれる人が必要なのです。
人を動かすにはお金
私達は義弟夫婦と良く話し合った結果、国内での義母の介護のキーパーソンとなることを義弟にお願いし、その代わり、私達はあらゆる面での経済的負担をすることを約束しました。義弟一家から一切の費用の持ち出しをさせないことを約束したのです。それだけでなく、幾らかのお金も渡すことにしたのです。
私たちが海外にいるために余計に人的負担をせざるを得ない状況を、お金という形で引き受けてもらったのです。(これはあくまでも私達の場合です。)義母は老後のお金がありませんでした。これが何年続くのかわかりませんが、親が老後の資金を用意していないということは、こういう事なのです。
もし、私達が兄弟姉妹のいない一人っ子だったらどうなっていたのでしょう。
ケアマネージャーさん抜きでは考えられません、必要書類に公的保証人制度を利用するにしても、やはりつまるところはお金が解決に必要ということになるのです。
仮に親に多少の資産があれば大丈夫なのでしょうか?いいえ、それは違います。
親の「私達の老後は大丈夫よ、あなた達に負担をかけないわ」はある意味正しく、正しくありません。この言葉の意味するところは、「あなた達に”費用”の負担をかけないわ」なのです。親にお金があっても、なくても、人的支援は必要で、それにはかならず保証人やケアマネージャーとの交渉をする人が必要なのです。
親の資金は動かせないこともある
そして、いくら親が老後資金を持っていても、親のお金を勝手に動かすことはできないです。金融機関の預金者に対する保護は諸刃の剣で、親の財産を守ってくれますが、同時に書類がそろわない限り親子といえども引き出すことはできない、ということです。
ですから、親に認知症があらわれてから慌てないように、キャッシュカードを預かってみたり、贈与税がかからない範囲で預金を移したりする必要が出てくるでしょう。しかし、この資金移動はきちんと明細を取っておかないと、兄弟姉妹間で骨肉の争いになるかもしれません。
とにかくお金
また、親に万が一のことがあった時にすぐに駆け付ける費用を準備しておく必要があります。最短で予約可能な日本行きの便を定額で買う必要に迫られるかもしれません。また、言いにくいことですが、不幸にして葬儀をすることになった場合の費用を賄える日本円も必要です。
海外に暮らすということはこの資金を移住の必要経費としてExtraに準備していく必要があると私は強く思うのです。
長くなりますので続きます。
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