先日、フジコ・ヘミングさんのピアノコンサートへ行く機会に恵まれました。東京に住んでいた時は、招待券を頂くこともあり、よくクラッシックコンサートへ行く機会があったのですが、ここアメリカに来てからは、初めてです。
フジコ・ヘミングさんについては、じつはあまり存じ上げなかったのですが、お名前や経歴は多少知っていたのもあり、しかも、かなりのご高齢ということで旦那が「これがライブで聞ける最後になるかもしれない」とチケットを手配したらしいです。
結論から先に言うと、とても素晴らしかったです。というとても陳腐な日本語でしか表現できない語彙力のなさが恨めしいですが、目を閉じてご自身の感覚をフルに表現されていた演奏風景にただただ耳を澄まして聴き入る贅沢な時間を過ごすことができました。
フジコ・ヘミングさんが、どのようなご活躍をされていたか、などはほとんど存じ上げず、お歳を召した日系のピアニストの方などという認識しかなくお恥ずかしいのですが、経歴や素晴らしさはきっと私がここで書くよりもっと多くのことをご存知だと思うので割愛します。
ヘミングさんの演奏を聴いてずっと感じていたことを書きたいと思います。
ヘミングさんのお歳は、大変失礼なのですが、聴くところによると87歳だそうで、私のような若輩者がどうこう言える立場ではないことは重々承知しております。演奏を聴いているうちにふと思ったのです、私がもし80代まで生きていられたとしたら、この方のように心から寄り添える何かはあるのだろうか?と。この方はお母様からピアノを習ったことがきっかけで今現在まで、ピアノと共に人生を歩んできているそうです。
それは苦しい時も、つらい時期もあったであろうが、今はとても演奏会を楽しんでいるように思えたのです。誰に強いられることもなく、ご自身が望んでピアノを披露してくださってるのだなぁ。本当にこの方はピアノを愛してやまないのだなぁ、って思ったのです。(失礼なのですが、)人生の終焉に差し掛かろうとしているまさにこの時、さらに精力的にピアノの演奏を心から楽しみにしているという。
このような未来が自分には想像できるのだろうか?いまでさえ、体の不調やあちこちが痛いだの疲れただの、とすぐ根をあげてしまうというのに!
私の場合、きっとあちこち体が痛くて、病気の1つや2つあったり、ひょっとしたら認知症になっているかもしれないし、ひょっとしたら寝たきりかもしれない。そんな暗澹たる未来しか見えない老後が怖くて、「長生きしたくないな」って思う日々を過ごしていたのですが、フジコさんの演奏を聴いていると、なんというか、しょぼくれたババアになるか、生き生きと信念とともにナニカに打ち込んで過ごすババアとどっちになりたいだろうか?と考えたのですよ。ピアノの演奏を聴いているさなかにです!(苦笑)
それほどに、力強く、そして優しく情緒豊かに、滑らかに綴られるピアノの音色は素晴らしく、歳をとることをもっと前向きに受け入れられるような気持ちになったのでした。
もし、自分がピアニストだったとして、自分が死ぬ直前まで好きなピアノを弾けたらどんなに幸せだろうか。
私はピアニストではないけれど、自分が歳をとっても死ぬ直前までゆる~くでも続けられるナニカを見つけられたらきっと今思っている以上に幸せかもしれないな。そんなことなんて、今まで一度も考えたことなどなかったのですよ。
ただピアノの演奏が上手い人。有名な人。そう思っていましたが、なんだかとても惹きつけられるナニカが確かにそこにはありました。今回このような機会が得られて非常に感慨深かったです。
フジコさんは、たいへんな動物愛護家でもあるそうで、愛犬家であり愛猫家、ご自身の描く絵にもよく犬や猫が描かれているそうです。そして保護活動にもご尽力されていたり、演奏会のお召し物もご自身で作られたり、とても感性豊かな方なのですね。そしてなにより、ちょっと気難しい方なのかと思ったのですが、仕草や笑顔がとてもかわいらしかったです。
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