ツマ子は渡米して10年が経ちました。
渡米前、私の頭の中にあったカリフォルニアの朝は、完璧なスコアで流れる映画のようだった。
通勤ラッシュのない、穏やかな光が差し込む朝。
青々とした庭の芝生にヨガマットを広げ、深く呼吸をする。
片手には淹れたてのスムージー、そしてホールフーズの瑞々しいオーガニック野菜をカゴに入れながら、店員と親しげに挨拶を交わす……。
カリフォルニアの輝く太陽のもとで、颯爽とジョギングする姿。自然があふれるトレイルやパークをのんびりウォーキングするアクティブなライフスタイル。
午後はガーデンテーブルにラップトップを持ち出して、仕事をしたり読書をしたり、友人を招いて優雅なティータイム.....。
共感してもらえるかわからないけれど、東京で抱いていたアメリカ生活のイメージと現実の違い、あなたはどう感じているかしら?
10年暮らして知った、剥き出しの現実(ギャップの連発)
「スムージー」の幻想 vs 「ただの水」という生命線
理想: スムージーで始まる朝、お洒落なスパークリングウォーターやヘルシーな特製ドリンクで過ごす一日。
現実:いやいや、無理ですね(笑)。よっぽどお腹が強くないと、朝からあんな冷たいものゴブッと飲めませんて。一年中、朝は寒いんですよ、ベイエリア。南カリフォルニアあたりなら良いかもしれないけど、朝からがっつり冷え冷えのものはツマ子には無理でした。
しかもこんなに明るいキッチンって、何時ですか?って感じ。季節にもよるけどもっと薄暗くて、ここまで明るいのは7時か8時ごろの間。もうとっくに家でてますよね。
日中、お洒落なスパークリングウォーター?リフレッシャー?いやいや、水よ。とにかく水。カリフォルニアの乾燥は、おしゃれを気取る余裕をくれない。脱水を感じる前に、四六時中ひたすら「無色透明のただの水」を体に流し込む、これが現実。そもそも歳を重ねてくるとそんなに炭酸飲めないし、水が一番。
「芝生でヨガ」の幻想 vs 虫たちとの防衛戦
理想: 裸足で緑の上に立ち、小気味よい鳥のさえずりを聞きながら深呼吸。
現実: 芝生はただ愛でるものではなく、徹底的な管理が必要な戦場。
殺虫と消毒を怠れば、一歩足を踏み入れただけで謎の虫たちに容赦なく刺される。優雅なバードバス(鳥の水飲み場)も、油断すれば茶色い蚊の温床。毎日執念で水を入れ替え、水溜りを作らないよう目を光らせる泥臭い日々。夜のうちに作動した散水のおかげで芝生は濡れているし、ヨガどころじゃない、そもそも朝は意外と冷え込むし、私はもっと寝ていたい。
閑静な住宅街と「トレイルを優雅にランニング」の幻想 vs リアルな野生と治安
理想: 風を感じながら、一人で近所や近くの公園、トレイルを軽快にジョギング。
現実: 女性の一人行動は絶対に無理。そもそも最寄りの公園まで車移動が必須かも。
住宅街を数ブロックジョギングや散歩とでかけても、Gatedコミュニティでもない限り安心できない。今は引っ越したのですが、以前住んでたところは、こんなに閑静な住宅地なのに、小柄なアジア人女性だからか、実際に不審車につけられて旦那に迎えに来てもらった生々しい防犯のリアル。
また公園やトレイルには背丈より高い茂みもあり、ある程度人がいないと、何かあっても誰にも気づかれない恐怖。レンジャーもめったにいない。
さらに、ガラガラヘビ、コヨーテ、ボブキャット、そして意外と凶暴で怖いターキー(七面鳥が追いかけてくる)。予期せず夜行性のスカンクに出くわした時の「騒がず、刺激せず、挨拶して立ち去る」という大人の作法と、トマトジュースが大量に必要になる前(※臭い消し)にダッシュで逃げるサバイバル感。こんなの東京で生活してたら想像できないよ。
「お洒落な帽子で街歩き」の幻想 vs 国籍識別タグのリアル
理想: 日本のつば広のUVカット帽子をエレガントに被って、お買い物。
現実: それは「私は狙いやすい日本人女性です」というタグを頭に乗せて歩くようなもの。
現地の人(ローカル)は基本、帽子を被らない。でっかいサンバイザーは韓国人、首の後ろを覆う農家スタイルは中国人と識別される中、お上品な日本の帽子を被っていると、物乞いや押し売り、変なヤツらにもShe is Japaneseとまるわかりすぎるのもね....。もっぱら被るのはベースボールキャップのようなものか、こちらで買った麦わら帽子。
なぜか増え続けるそばかす
理想:毎朝のUV配合化粧品、とスキンケア、UVカットの上着とサングラス。日焼け対策はばっちり!
現実:想像以上の紫外線に、ちょっとすぐそこだから、と適当すぎるUV対策で出かけたら腕と手首に容赦なく増えていくそばかすの洗礼。アップルウォッチの跡がくっきりの現実。
現実:想像以上の紫外線に、ちょっとすぐそこだから、と適当すぎるUV対策で出かけたら腕と手首に容赦なく増えていくそばかすの洗礼。アップルウォッチの跡がくっきりの現実。
とまぁ、ちょっと日本にいたころに思っていたカリフォルニアとは少し違いました。
日本での想像と大きく違った、人種差別より顕著なこと
カリフォルニア、特にアジア人が人口の3分の1を占めるこのベイエリアに暮らしていると、いわゆるステレオタイプな「人種差別」に出くわすことは滅多にない。
しかし、ここにはもう一つの、もっと冷徹な線引きが存在する。
それは、その人が「Educated(教養と倫理観がある人)」か、「Uneducated(それらが欠如している人)」かという審判だ。
ここでは、人種が何であるかは問題にされない。問題にされるのは、その「行動」だ。
列に平気で割り込む、そもそも並ばない。
TPOをわきまえない服装でレストランに現れ、どこでも大声で話し散らす。
他人の庭の果物や花を無断でもぎ取り、動物を蹴り飛ばし、子供を押しのけても謝りもしない――。
そういう行動をとった瞬間、周囲の空気は一瞬で凍りつき、静かに、でも決定的な「拒絶」の壁が立ち上がる。彼らは怒鳴られるのではない。ただ「敬意を払うに値しない、Uneducatedな存在」として、コミュニティから静かに無視され、透明人間にされるのだ。
郷に入っては郷に従う。それは単に「アメリカ風の帽子を選ぶ」といった外見の擬態だけではない。公共の場での節度、他者へのリスペクト、そして何より「まともな倫理観」を持って振る舞うこと。
メディアが描くお気楽なカリフォルニアの裏側で、私たちは日々、自分の「品格」を試されながら暮らしている。もう私たちはティーンではないのですから。
これまで、想像とは違ったマイナス面を拾い上げましたが、良い面もあります。
「人間関係の風通しの良さ」と、大人の自由
想像していたこと: アメリカのホームパーティーや、ご近所付き合いって、英語の壁も含めて気疲れしそう。
実際の良かった面: 驚くほど誰も他人に干渉しないし、ジャッジもしない心地よさ。
日本では年齢相応の服装や振る舞い、世間の目(50代だからこうあるべき、主婦だからこうあるべき)をどこか意識させられていたけれど、ここでは誰もそんなことを気にしていない。
気心の知れた間柄なら、すっぴんで現地流のラフな格好をしていても、堂々と一人の人間として扱われる。この「何者でもなくていい自由」と風通しの良さは、大人の女性にとって、日本にいた頃想像していた以上の心の解放感になります。
徹底的な「プロフェッショナル」の心地よさ
想像していたこと: アメリカのサービスは雑で、医療や手続きもトラブルばかりで大変そう。
実際の良かった面: 冷徹なほどのドライさの裏にある、洗練されたプロの仕事。
以前の「アメリカで抜歯」のときもそうでしたが、日本の「おもてなし(過剰な気遣い)」とは違う、医療機関の無駄を徹底的に省いた「プロとしての高い技術とスピード感」を体験したときの清々しさ。患者に寄り添いながらも変に媚びない、お互いに対等なプロとして接してくれる距離感は、一度馴染むと非常に理にかなっていて心地よいものです。
「湿気がない」という圧倒的な贅沢
想像していたこと: カリフォルニアはとにかく年中暑くて乾燥しているだけ。
実際の良かった面: 日本のジメジメした梅雨や夏を思えば、このカラッとした気候は天国。
日差しは痛いほど強いけれど、一歩日陰に入れば、驚くほど涼しい風が通り抜ける。洗濯物は一瞬で乾くし、家の中にカビや湿気の不快感が一切ない。
この「気がつけば1年中、体がベタつかないストレスフリーな心地よさ」は、日本での夏の不快感を思い出すたびに、「カリフォルニアにいて良かった」と心から実感できる、暮らしの大きな財産です。
家の中を「最高の聖域」にできる環境
想像していたこと: 広い家を維持するのは、芝生も含めてとにかく大変そう。
実際の良かった面: 外がサバイバルだからこそ、家の中を自分の好きなもので満たす喜びが何倍にもなる。
一歩外に出れば野生動物や防犯の緊張感があるからこそ、玄関のドアを閉めた瞬間の我が家が、世界で一番安全で愛おしい場所に変わる。
アメリカの広いキッチンで、あえて日本から連れてきた土鍋でお米を炊き、おひつに移す。新茶を丁寧に淹れて、極上のイタリアのお菓子を並べる。外のワイルドな環境とのギャップがあるからこそ、家の中で過ごす静かな時間の豊かさが、日本にいた頃の想像よりもずっと深く身体に染み渡ります。
【手放した幻想と、手に入れた自由】
カリフォルニアに来たら、素敵なコミュニティで新しい仲間と華やかなサードプレイス(笑)を築く――そんな夢も、最初の数年でそっと棚に戻した。
寂しさから、最初はコミュニティセンターなどに足を運び、同じ母国語を話す人たちとの繋がりを求めたこともあった。
けれど、言葉が通じるからといって、心地よい関係になれるとは限らない。
出会ったばかりの相手にビザの種類をぶしつけに問い質し、夫の職業や国籍で静かに品定めを始める。そんな距離感に戸惑う一方で、さらに息苦しかったのが、日本と同じノリで要求される「見えない忖度(そんたく)」だった。
「前回はAさんの家にお邪魔したから、今度はうちが誘わなきゃいけないかしら」
せっかくどこまでも合理的で距離感が程よいカリフォルニアにいるというのに、日本人コミュニティの狭い世界に入った瞬間、網の目のように張り巡らされた「お返し」と「義理」のルールに縛られ、裏の裏まで読み合う空気に心がすり減っていく。
一方で、他国の人たちは驚くほど潔い。
「みんなで集まろう!」と声をかけても、都合が悪ければ「その日は無理、パス!」と1秒で断ってくるし、かと思えば次の週には「今度うちに来ない?」と、なんの屈託もなく誘ってきたりする。そこには、無理に合わせる気遣いもなければ、断られたからと拗ねる過剰なナイーブさもない。
「日本人の友人を作らなきゃ」という、勝手に背負っていた義務感を手放したとき、私は本当の意味で、このカリフォルニアの「心地よい自由」を手に入れた。
東京にいた頃は、カリフォルニアに来たら、ドラマみたいにジョギングしたり、芝生でヨガしたり、スムージー飲んだりするんだろうなと思っていた。
でも実際は、寒かったり、乾燥してたり、治安が気になったりで、想像していた“カリフォルニアらしい生活”はほとんどできなかった。
ただ、意外なことに、それでも今の暮らしはけっこう気に入っている。
外では相変わらず気を張る場面も多いけれど、家の中は落ち着くし、自分のペースで過ごせる時間がちゃんとある。
東京から思い描いていた生活とは全然違うのに、気づけば普通に馴染んでいて、自分でもちょっと驚いている。

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