うちには、犬も猫もいない。
だから本来であれば、「ノミ」という二文字は私の暮らしの辞書には載っていないはずだった。
それなのに、この一か月ほどの私の足首周辺は、まるで“夜の戦場”のような惨状を呈している。
最初は「蚊に刺されたのかな?」と軽く考えていた。
しかし、かゆみの質が違う。
じわじわ来るのではなく、突然、爆発的に襲いかかってくる。
かゆみの波が一度立ち上がると、夜も眠れないほどアグレッシブである。
これはただの蚊ではない。ツマ子の勘がそう告げた。
意を決して調べた結果、浮上した犯人の名は――まさかのノミ。
「ノミ? ノミって、あのノミ? ペットのいない我が家に?」
画面を二度見、いや、三度見した。
しかし、現実は残酷である。犯人はノミだった。
では、どこから来たのか。
犯人たちの足取りを追ううちに、ひとつの“夜の怪”にたどり着いた。
試しに真っ白な靴下を履いて芝生の上を歩き回ってみる。
すると、黒ゴマのような粒が、靴下にポツポツと付着してくるではないか。
ノミだ。
お前らか‼ ――犯人は!(ツマ子、思わずマダムらしからぬ口調に!)
うちの庭は、夜になると近所の徘徊猫や野生動物(アライグマ、オポッサム、キツネ、ボブキャット)たちの立ち寄りスポットと化す。
彼らが夜な夜な庭を横断する際、置き土産としてノミを落としていくらしい。
そこへ夜半の芝生への水やりが加わり、ノミにとってはこの上なく快適な高級リゾート地が完成してしまったというわけだ。
ところで、毎週芝刈りに訪れるガーデナーたちは無事なのだろうか。
彼らはあの芝生の上を堂々と歩き回っている。
あの黒ゴマ地帯を、である。
もしかして、彼らはノミに刺されない体質なのだろうか。
そういえば、むかしから家族の中で私だけ、蚊などに刺されるのだった。
裸足で歩いているわけでもないというのに、どうやらツマ子の足は、虫たちにとって高級レストランらしい。
まったくありがたくない。
見えない敵の存在に気づいた私は、すぐさま対策に乗り出した。
ただし、そこはちょっとだけ環境や野生動物に配慮したいお年頃である。
ノミは嫌だが、時折挨拶しにくるネコさんやリス達に害が及ぶもので駆除はしたくない。
ツマ子、ここで一瞬だけ優しさを見せる。
そこでショッピングサイトのAIが勧めてくれた「自然由来成分でノミを撃退」という、いかにも体に優しそうなオーガニック系散布剤を買い求め、せっせと庭に撒いてみた。
結果。まったく効果なし。
ノミたちはオーガニックの優しさなどどこ吹く風で、今朝も私の足首を目がけて元気いっぱいに跳躍してくる。
自然派の試みは、見事に粉砕された。
ツマ子の優しさも粉砕された。
今週はガーデナーに、いつもより短く芝を刈ってくれるよう頼もうと思う。
ノミのリゾート地を、少しでも荒らしてやるのだ。
そして、AIがすすめてきた「根気よくナチュラル系(笑)」の駆除剤を散布して、
その効果のなさを見届けてから、AIを笑ってやろうと思っている。(なーにがAIコンシェルジュだ、役立たずっ!)
(ツマ子はもう、自然派には二度と騙されない。)
結局、背に腹は代えられない私は、人間側の徹底的な「自衛」にたどり着いた。
いまや出かける前も庭に出る前も、足首周辺に「OFF! Deep Woods」をこれでもかと噴射する毎日だ。
森林の奥地へ向かうハンターのごとき重装備で、わが家の庭に立っている。
足首だけ妙に強そうな女、それが今のツマ子である。
強力な虫除けスプレーをまといながら、私は今日も静かに途方に暮れている。
わが家の庭の平和と、ツマ子の足首の平穏が戻る日は、いつになるのだろうか。
その日が来るまで、私は白靴下を片手に、庭の“黒ゴマチェック”を続ける覚悟である。
そして昨晩――
怒りに燃えたツマ子が、火炎放射器で芝生を焼き尽くす夢を見た。
夢の中でさえ、ノミとの戦いは終わらないらしい。

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