先日、右の奥歯を一本、手放した。
アメリカで抜歯を経験するのは、これで二度目になる。
アメリカで歯にトラブルが起きたとき、真っ先に頭をよぎるのは「日本人の歯科医を探すべきか」という悩みではないだろうか。
私もかつてはそうだった。言葉が通じる安心感は何物にも代えがたい。けれど、アメリカ生活も十年を過ぎる頃から、私の基準は少しずつ変わっていった。言葉の壁という安心感よりも、その分野でどれほどの場数を踏んでいるか。評判の良い「スペシャリスト」の技術こそが、最大の安心に繋がることを知ったからだ。
まさかの宣告:原因は30年前の治療と「豚の皮」
先日、メキシカンスーパーで買ったポークリンズ(豚の皮を揚げたスナック)を噛みしめた瞬間、私の奥歯は悲鳴を上げた。以前お世話になった日系の歯科は、今の家からは少し遠い。歯科保険のネットワークから選んだ近所の歯科で「根折れ」の宣告を受け、紹介されたのは口腔外科(Oral Surgeon)。
原因は三十年前、まだ日本でスタンダードだった「神経を抜く治療」を受けた歯が、長い年月を経て脆くなっていたこと。こうなれば、抜歯するほか道はない。
「You、抜いちゃいなよ」突然の抜歯提案
アメリカでは、一般的な歯科(General Dentistry)で対応できない抜歯は、専門の「口腔外科(Oral Surgeon)」へ紹介される。引越したばかりの新しい街で、私は地元の、けれど評価の高い口腔外科の門を叩いた。
コンサルテーションで抜歯のスケジューリングだけのつもりで訪れた私に、ドクターはあまりにも軽いノリでこう言った。
「You、抜いちゃいなよ。今日、この後。15分もあれば終わるよ?」
自宅を出るとき、私は旦那に言った。「じゃぁ行ってくるね!まずないとは思うけど、ひょっとしたら今日抜きましょうって言われるかもね、アハハ。」、99%そんなことはないと確信して放った冗談だった。
……え、今?(まさかの1%が!!!)
月150本をこなす、スペシャリストの自信
予想外の提案に頭が真っ白になる私を察したのか、ドクターは笑って続ける。
「大丈夫、俺は毎月150本は抜いてるから。痛みもなく、あっという間さ」
かつて日系の歯科で一時間以上かかった、あの重苦しい抜歯の記憶がよみがえる。けれど、抜かなければいけない事実は変わらない。麻酔が運転に影響するかどうかを確認してから、「……お願いします」私は意を決して、その場で承諾した。
「オペ室」の緊迫感と神業的な麻酔
そこからの展開は、まさに「洗練されたプロの仕事」そのものだった。
次々と差し出される、膨大な同意書の山。麻酔のリスク、術後のケア、全てに目を通し、サインを重ねる。そして案内された大きな部屋の歯科の椅子がフラットに倒れ、血圧計や心拍数モニターが装着される。そこはもはや、完璧に管理された「手術台(オペ室)」だった。
助手の女性がキビキビと抜歯器具をそろえる一方、麻酔の針が痛くないように局所麻酔薬を含んだガーゼを歯茎に挟み込む。心拍数モニターのリズムが響き渡るだけの手術室。ヤバイどうしよう、勢いでOKしてしまったよ...。
ほどなくして、「おまたせしてごめんね!」と颯爽と入ってきたドクター。
「じゃあ抜くからね!すぐ終わるよ!」
ドクターがほっぺたをグイと引っ張ったかと思うと、一瞬で二箇所の麻酔が終わった。「え、今の注射?」と驚く間もない。痛みを感じる隙すら与えない、神業のような手際。
わずか5分の衝撃。痛みゼロの抜歯
助手の女性に、麻酔が効くころ呼んでね、と声をかけて退出していった。
何分くらい経ったのだろうか?とか、ちょっと早まったかなぁ、アメリカの抜歯ってこんな感じなの?もっと、こう、じゃあ麻酔しますね~、ちょっと我慢してね~、もう少し打ちますね~、.....とか声かけてくれるのかと思ったのですが。まぁ余計なことを考えていたら、再びドクターが登場しました。
「いいかい、痛みは感じない。でも音はすごい。顎に響いて怖いかもしれない。でも大丈夫だ、すぐ終わる」ドクターの真剣なまなざしを手術台のまぶしいライト越しに見たのです。口を固定された私は、ドクターのいない方の手で、精一杯の「OKサイン」を出した。
手術台のライトはまぶしい、歯科の恐ろしい器具も見たくはないな、そう思って目を閉じると、暗闇の中にゴリゴリ、ガリガリ、そしてミシミシという激しい音だけが響く。恐怖で体がこわばるけれど、不思議なほど痛みはゼロ。
「ほら、もう抜けたぞ!」
抜歯開始から、わずか五分。
「抜糸」すら不要?アメリカ流の潔いアフターケア
「あとは穴を埋めて縫うからね、あと三分だ。」
(そんなに長くかからないよ。そんな配慮だったのだと思う。)
助手の「大丈夫、順調よ」という声を聞きながら、唇に糸が触れる感覚。指示通りにガーゼを力強く噛んで、全てが終了した。
「どうだ、あっという間だっただろう? 毎日やってるからな、アハハ!」
颯爽と去っていくドクターの背中を見送りながら、私はしばらくの間、手術台の上で呆然としていた。あんなに怯えていた時間は何だったのか。言葉の壁を越えた先にあったのは、圧倒的な経験に裏打ちされた、職人のような鮮やかな手際だった。
我に返り、自分でもにわかには信じがたい出来事を、駐車場の車の中で旦那にテキストで報告した。短く。
「抜歯した!むっちゃ凄い!」
「帰るわ!」
薬局で処方された痛み止めを手に帰宅し、ガレージに車を入れると、旦那が血相を変えて降りてきた。ムンクの叫びの絵文字の顔で。私のメッセージを「むっちゃ痛い!」と読み違えたらしい。
そこからは、ひたすら麻酔が切れるのを待つ。
帰宅して鏡を見たら驚いた。下あごにピンポン玉でもありますか?というくらい腫れている。(でも痛みはない。)術後の指示書にある通り、30分ごとに取り換えるガーゼの血糊がグロすぎて気持ち悪い程度だった。
まさか抜歯して帰るとは1%の冗談としか考えてなかったから、猛烈にお腹がすいているのに、食べるものがなかった。痛み止めと抗生物質を飲むために、ストックしてあるプロテインシェイクをそっと口にふくんで血の混じった唾液とともに飲み込むしかなかった。
抜歯から数日後、ドクターからFollow-Upの電話があった。
驚いたことに、後日の「抜糸」というプロセスすらないのだという。自然に溶けるか、あるいは治癒の過程でスルリと外れていく不思議な糸。異常がない限り、抜糸のためにわざわざ通院しなくてよいというスタンスなのです。
言葉の安心よりも「圧倒的な場数」を信じる
「無理に取らず、身体が癒えていく流れに任せる」
それがアメリカ流なのか、あるいはドクターの哲学なのか。
無理に抗わず、自然の摂理に身を委ねるそのスタイルは、どこか潔く、心地よかった。
もし今、アメリカで歯の痛みに悩んでる、あるいは抜歯を宣告され、不安で検索を繰り返している人がいたら伝えたい。
言葉の安心感も大切だけれど、この国には、圧倒的な場数をこなす「スペシャリスト」たちがいる。その鮮やかな仕事に身を委ねてみるのも、ひとつの賢明な選択かもしれない。
意図せずにぽっかりと空いた空間は、少しだけ寂しい。
けれど、三十年という長い旅を終えた歯に「お疲れ様」と告げ、新しく癒えていく傷口を愛おしく思う。そんな、アメリカでの抜歯体験でした。

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